2016年 02月 24日
金融機関側はフィデューシャリーデューティーを宣言。でもいい加減投資家側も学習を進めるターンだよね |
みずほグループがフィデューシャリーデューティーに関する方針設定を公表したことで、ちょっとした話題になっているようです。
みずほFGが「フィデューシャリー・デューティーに関する取組方針」を発表ーついにメガ金融グループの一角が動いた! (アーツ&インベストメント・スタディーズ)
確かに、金融機関側でこういう方針設定が浸透することは、そうでないよりは格段に良い事でしょう。
「金融機関側の利益を優先しないよ、真面目にやるよ、ぼったくり欠陥ファンドなんかもってのほかだよ」と宣言している金融機関であれば、そのような宣言をせず「ぼったくるかもしれないよ…」という態度の金融機関よりはなんとなく信用できそうには見えます。
仮にそのような宣言をしておきながら不誠実な勧誘・販売でもしていたら、「言ってる事と違うじゃないか、あれは嘘だったのか」と批判することができますから、自然と投資家による監督機能が発生してくることも考えられます。
その意味で、金融庁や識見ある投資家などが理想とする投資環境向上(適正な投資商品の開発・勧誘)に貢献する可能性は否定できません。
ただ、だからといって金融機関側のこうした方針設定・実践だけでそれが実現するという期待が仮にあるとしたら、それは幻想というものでしょう。
一方では、投資家側も十分な学習をして、適正な商品選択や金融機関の監視をするだけの力を備えない限り、投資環境向上は実現しない(限度がある)と思います。
現在の投資家のレベルはどんなものでしょうか。
こんなものです。
「実質コスト」とか「トラッキングエラー」という程度の、投信の質を判断するための基礎中の基礎をなす言葉でさえ、どうやらあまり発する人がいない。投信会社の人はそんな顧客に出くわさない。
投信の質を判断する能力のある顧客が少ないのであれば、「低品質高コストの商品を売って得られる収益」は(顧客に回避する能力が無く、売れてしまう可能性が高いですから)高水準が期待でき、「批判に晒されることによる評判の低下や顧客離れ等による損失」は(そもそも顧客側が低品質の商品を掴まされた認識が無い以上、なかなか声そのものが上がりませんから)低水準に留まります。
そんなことでは、いかにフィデューシャリーデューティーなどと美辞麗句があったところで、そんなものは無視して金融機関が儲かる不誠実な商品を売るインセンティブが常に存在します。なにしろ顧客が買ってしまい、批判・監督機能を発揮する能力がないのですから恐れるものはありません。(金融庁側からの監督もありましょうが、そんなものは「商品説明書・同意書面等の証憑を整えておく」「監督委員会とかの尤もらしい機関を社内に設置しておいて議事録の一つも定期的に作っておく」程度の対策をしておけば何とかやり過ごせるでしょう)
むろん、それは道義的にはとても誉められたものではありませんが(自らフィデューシャリー宣言をしておきながらそれを破っているのなら尚更)、経済的には全くもって合理的な行動というものです。
こんな風に、顧客側に商品選択・金融機関監督の能力が乏しく、従って金融機関がやりたい放題やろうと思えばできてしまう中で、金融機関側にのみフィデューシャリーデューティーを課してその遂行を期待するという構図は、さながら「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」して、軍事力も自衛権も持たないまま平和を追求しようとする何処かの国と何が違うのでしょうか。
その理想は素晴らしいものがありますが(しないで済むなら戦争なんか誰だってしたくありません)、相応の実力が無いのでは国境地帯に外国船が出入りしたり島を占拠されたり、やりたい放題ではありませんか。
平和を実現したいなら(=適正な投資環境を実現したいなら)、自国の軍備を増強して個別的自衛権を確立したり(=投資に関する知識を身につけて低品質の商品の勧誘に乗らないようになる)、同盟国同士で侵略者に十分な反撃を与える集団的自衛権を確立したり(=身の回りで変な商品が売られるようだったら批判の声を上げる。そのための判断力持った人を増やしたり、発信力を高める)ということが不可欠というものです。
それが備わって初めて抑止力が生じます。変な商品を売り込むことによる期待収益が低下し、批判による損失が増加し、後者が前者に接近・逆転することになれば、もはやそんな商品を売り込むインセンティブがなくなるので自然と投資環境は適正化されていきます。
幸いにして、投資家側もブロガーなど有識者レベルではマスコミ記事への登場や各種イベントの開催などに見られるように一定の発信力をつけてきており、「集団的自衛権」がそれなりに確立する土壌は整いつつあります。
しかし、「個別的自衛権」を行使すべき個別の投資家が簡単に変な商品を買ってしまい金融機関側に収益をもたらすような状況が続くようでは、(当事者の国があっさり無条件降伏していては集団的自衛権の発動機会が無いのと同様)金融機関側の不誠実な販売を抑止する力は実質的に大きく低下してしまいます。
金融機関側は曲がりなりにも理想の旗を掲げてみせています。
そろそろ投資家側も知識を向上させ、きちんとした見る目を養うよう努める番ではありませんか?
売り手側と買い手側が常に緊張感を持って接して自然に抑止力を機能させるのか、ひたすら売り手側のの誠意と善意に任せきり「公正と信義に信頼して」全てを委ねるのか、どちらが実質的に投資環境を良くできますか?
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みずほFGが「フィデューシャリー・デューティーに関する取組方針」を発表ーついにメガ金融グループの一角が動いた! (アーツ&インベストメント・スタディーズ)
確かに、金融機関側でこういう方針設定が浸透することは、そうでないよりは格段に良い事でしょう。
「金融機関側の利益を優先しないよ、真面目にやるよ、ぼったくり欠陥ファンドなんかもってのほかだよ」と宣言している金融機関であれば、そのような宣言をせず「ぼったくるかもしれないよ…」という態度の金融機関よりはなんとなく信用できそうには見えます。
仮にそのような宣言をしておきながら不誠実な勧誘・販売でもしていたら、「言ってる事と違うじゃないか、あれは嘘だったのか」と批判することができますから、自然と投資家による監督機能が発生してくることも考えられます。
その意味で、金融庁や識見ある投資家などが理想とする投資環境向上(適正な投資商品の開発・勧誘)に貢献する可能性は否定できません。
ただ、だからといって金融機関側のこうした方針設定・実践だけでそれが実現するという期待が仮にあるとしたら、それは幻想というものでしょう。
一方では、投資家側も十分な学習をして、適正な商品選択や金融機関の監視をするだけの力を備えない限り、投資環境向上は実現しない(限度がある)と思います。
現在の投資家のレベルはどんなものでしょうか。
いくつかのブースではアンケートを書かされましたが、投信選びに重視することとして「実質コスト」とか「トラッキングエラー」とかの言葉を書いてみせると目に見えて態度が変わること変わること。
「詳しいですね…」「結構投資経験されてるんですね」などといった感じで、ちょっと身構えモードになっているようです(本気で驚いているのか、ポーズとして驚いてみせてるのか知りませんが)。
面白いことは面白い反面、投資家がそのくらいの言葉を出した程度で「特別詳しい」扱いになってしまうようではまだまだ投資家側のレベルもアカンのかなあ、と思いました。(本来、投信を選ぶ基準として誰もが知っているべきものでしょう)
ネットでNISAフォーラムに参加
こんなものです。
「実質コスト」とか「トラッキングエラー」という程度の、投信の質を判断するための基礎中の基礎をなす言葉でさえ、どうやらあまり発する人がいない。投信会社の人はそんな顧客に出くわさない。
投信の質を判断する能力のある顧客が少ないのであれば、「低品質高コストの商品を売って得られる収益」は(顧客に回避する能力が無く、売れてしまう可能性が高いですから)高水準が期待でき、「批判に晒されることによる評判の低下や顧客離れ等による損失」は(そもそも顧客側が低品質の商品を掴まされた認識が無い以上、なかなか声そのものが上がりませんから)低水準に留まります。
そんなことでは、いかにフィデューシャリーデューティーなどと美辞麗句があったところで、そんなものは無視して金融機関が儲かる不誠実な商品を売るインセンティブが常に存在します。なにしろ顧客が買ってしまい、批判・監督機能を発揮する能力がないのですから恐れるものはありません。(金融庁側からの監督もありましょうが、そんなものは「商品説明書・同意書面等の証憑を整えておく」「監督委員会とかの尤もらしい機関を社内に設置しておいて議事録の一つも定期的に作っておく」程度の対策をしておけば何とかやり過ごせるでしょう)
むろん、それは道義的にはとても誉められたものではありませんが(自らフィデューシャリー宣言をしておきながらそれを破っているのなら尚更)、経済的には全くもって合理的な行動というものです。
こんな風に、顧客側に商品選択・金融機関監督の能力が乏しく、従って金融機関がやりたい放題やろうと思えばできてしまう中で、金融機関側にのみフィデューシャリーデューティーを課してその遂行を期待するという構図は、さながら「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」して、軍事力も自衛権も持たないまま平和を追求しようとする何処かの国と何が違うのでしょうか。
その理想は素晴らしいものがありますが(しないで済むなら戦争なんか誰だってしたくありません)、相応の実力が無いのでは国境地帯に外国船が出入りしたり島を占拠されたり、やりたい放題ではありませんか。
平和を実現したいなら(=適正な投資環境を実現したいなら)、自国の軍備を増強して個別的自衛権を確立したり(=投資に関する知識を身につけて低品質の商品の勧誘に乗らないようになる)、同盟国同士で侵略者に十分な反撃を与える集団的自衛権を確立したり(=身の回りで変な商品が売られるようだったら批判の声を上げる。そのための判断力持った人を増やしたり、発信力を高める)ということが不可欠というものです。
それが備わって初めて抑止力が生じます。変な商品を売り込むことによる期待収益が低下し、批判による損失が増加し、後者が前者に接近・逆転することになれば、もはやそんな商品を売り込むインセンティブがなくなるので自然と投資環境は適正化されていきます。
幸いにして、投資家側もブロガーなど有識者レベルではマスコミ記事への登場や各種イベントの開催などに見られるように一定の発信力をつけてきており、「集団的自衛権」がそれなりに確立する土壌は整いつつあります。
しかし、「個別的自衛権」を行使すべき個別の投資家が簡単に変な商品を買ってしまい金融機関側に収益をもたらすような状況が続くようでは、(当事者の国があっさり無条件降伏していては集団的自衛権の発動機会が無いのと同様)金融機関側の不誠実な販売を抑止する力は実質的に大きく低下してしまいます。
金融機関側は曲がりなりにも理想の旗を掲げてみせています。
そろそろ投資家側も知識を向上させ、きちんとした見る目を養うよう努める番ではありませんか?
売り手側と買い手側が常に緊張感を持って接して自然に抑止力を機能させるのか、ひたすら売り手側のの誠意と善意に任せきり「公正と信義に信頼して」全てを委ねるのか、どちらが実質的に投資環境を良くできますか?
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by an_bow_umibune
| 2016-02-24 01:55
| 投資の考え方